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旧山陽街道・下関までのラストウォーク③~④


山陽道3-1

山陽道3-2

長府駅から 歩き出しました 昔からの城下町の風情を残す良い町です

周防の国の国府「防府」に対し長門の国「長府」と名付けられた

山陽道3-6

山陽道3-7

忌宮神社(いみのみやじんじゃ)長府の市街地に位置する大きな神社です

14代仲哀天皇・神宮皇后が九州の豪族熊襲を鎮圧し西国平定の折り、ここに仮皇居と

して豊浦宮を建て西暦200年までの7年間滞在したと言われています。

山陽道3-12>
山陽道3-13

幕末の騒乱期の重要な拠点となった長府町には「維新発祥の地」と刻まれた

石碑をあちらこちらに見受けられます

長府ではやはりここです・・・1864年高杉晋作は挙兵しました。かつて馬関と呼ばれた

下関市長府にある功山寺  この寺から幕末動乱の幕は開かれます

寺に潜居していた三条実美ら五卿に「これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す」と

決起表明し、馬上の高杉晋作は雪中を駈け抜けました

高杉晋作をトップに正義派の長州藩諸隊が、「功山寺」で起こしたクーデター、回天義挙

とこれに端を発する長州藩内の一連の紛争もこの場所です

藩隊が集結した曹洞宗の寺長府毛利家の菩提寺「功山寺」は現在「国宝」

「国登録有形文化財」に指定されています


いよいよ、下関です



山陽道4-1-

門司港までは、船で渡りました

門司港駅から一駅「小森江駅」まで電車で移動 そこから小倉を目指します

山陽道4-3

しばらく旧「門司往還」を歩くと、目に飛び込んできたのが「北九州無法松ツーデー

マーチ」ののぼり旗 「矢張り」もあちらこちらに貼ってあります・・ここははツーデー

ウォークのコースだ!「爺」の歩き友も参加しているのでは?

山陽道4-5

結局、ウォーカーには会わず「小倉駅」までに何人かのスタッフの方に会った

だけでした

「門司往還」の「常盤橋」までで最終ゴールを致しました

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5年10ヶ月山陽街道を歩きましたが、本当に色々な出来事がありました

街道歩き旅は何と言っても「未知への旅」先々で、思いも寄らぬことが起きる

歩いて見て、初めて見る物や、初めて知る事、その「ハラハラ感」がたまらないです・・・・

  しばらく、旧街道歩き旅は、お休みをしようと思います

最後になりますが、この歩き旅には、旧街道歩き旅の大先輩「アンドーさん」の

webサイトを参考にさせて頂きました

     有難う御座いました お礼申し上げます

           ・・・・・完・・・・・・

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[ 2017/10/08 20:13 ] 山陽街道を歩く旅 | TB(0) | CM(0)

旧山陽街道・下関までのラストウォーク②

山陽街道ラストウォーク①からの続きです

厚東(ことう)駅から、小月(おづき)駅までは、電車で移動

山陽道11

駅前で写真を撮って 「東行庵」まで行くバス停を探していましたら、地元の年配の方

から声を掛けられました「どちらまで行かれますか?」「東行庵に行きたいのですが」

その方もバスを待って居るらしく、しばらく話をしていましたら毎日「ウォーキング」を

楽しんでいるそうで、「先日、下関まで30キロ程歩いて来ました」との事でした。

知らない所で親切にされると 嬉しくなります

山陽道12

バスは「東行庵行」直行は無く「秋芳洞行]きに乗り途中下車して、しばらく歩いて

行くしかないようで、下車して、1キロ程歩きだしました 途中は旧街道らしい光景・・・

山陽街道で一里塚跡に出会うのは珍しい「吉田の一里塚跡」のすぐ横を通過して

高杉晋作の墓「東行庵」まで歩きます 「東行」は晋作の号です 晋作が亡くなった後

菩提を弔う為、晋作の側室「おうの」に与えて住まわせたのが始まりだそうです

山陽道13

すぐ近くに「晋作の湯」という日帰りの湯がありました

「東行庵」は、動画で撮ってみました



「東行記念館」でも、「爺」が遠方から来たからとことで、館内を詳しく説明をして頂き 

良くして頂きました

「東行庵」から、小月駅までの帰り道は約5キロですが、バスで来た旧街道を歩いて

戻る事にしました

小月神社


小月の町中の「小月神社」に立ち寄りました 街中は旧街道の面影はなく

宿場の面影もありません  

余談ですが、山陽新幹線は「厚狭駅」からJR山陽線からかなり離れて山間部を

大廻して「新下関駅」までのルートになっています 不思議ですが、 「長州の景観」

を守る為、ぐる~と西へ大廻して下関に向かったのではないか、との話を聞きま

したが、どうかな??


山陽道18

小月駅近くに道標がありました「右 かみがた、左とよたへ」と刻まれています

「見回り通り」と呼ばれて宿場町の歓楽街だったようです

ここで 東京から山陽街道を歩き旅している 「爺」と同年代の旅人とお会いし

ました、しばらく歩き旅の話をしながら、同行しましたが、聞きますと会社を定年後

 旧東海道 旧中山道 甲州街道 熊野古道 四国八十八箇所等を歩き旅を完歩

して 今から旧山陽道から 九州の門司方面に行く途中だとの事でした・・・・・

  小月駅で別れましたが世の中には、凄い方がおられるもんです。

      今日は、感激する事の多い一日になりました

-----つづく-----
[ 2017/10/03 21:29 ] 山陽街道を歩く旅 | TB(0) | CM(1)

旧山陽街道・下関までのラストウォーク①

 
「爺」が旧山陽街道を歩くかけになったのは、2008年街道歩き旅で初めて旧東海道

歩き492キロを完歩し、次に旧中山道537キロを歩く事にしました。真冬の岐阜県の木曽路

あたりを歩きながら・・テカテカに凍りついた足元の危うい未舗装の旧道を歩く事になり

ウォーキングシューズでは滑って歩くのが危険だし、進むのが困難な冬期間は別のルート

を歩く事も一案だと「暖かそうな瀬戸内の山陽道を歩いてみよう」と思い付きいろいろ調べて

みました

  旧山陽街道京都から西宮までの「西国街道」(山崎街道とも呼ばれる)の55キロ

つづいて、兵庫県西宮から山口県下関までの498キロの合計553キロの間、46の本宿場と

間の宿5場合わせて51宿場の山陽街道。 

「山陽地方」響きから、瀬戸内の海岸線を歩く感じですが、そうでは無く、旧街道は山間部が多

い事も分かって来ました  しかし・・・ 歩いて見よう・・・  

     旧東海道を歩いた経験があるのでこの距離なら、何とかなるだろうと、軽い気持ちで

「京都」から歩き始めたのが、2011年11月です

山陽道地図-1

今回の歩き旅で無事ゴールしましたが、結局 京都から始まり、

   下関の永福寺のゴ~ルまで、5年10ヶ月も掛かってしいました。


山陽道1-1

「新大阪」から「新山口」まで新幹線で移動 現在新山口駅は新駅舎の建設中です

山陽道1-2

国道標示は下関まで57キロだが、旧街道は約65キロ程ありそうです

山陽道1-3

旧街道に入ります 道端には「彼岸花」 正面の二つの山は、狼煙場が有った「雨乞い山」

山陽道1-4

山口県の街道筋には「立派な旧家」が多いです

嘉川駅近くの公民館前に三体の石仏が有りましたが、いずれも正徳から天明の時代

頃(1713年~1790年)に建立された 石仏です

写真を 撮ったり端末で、地図の確認していましたら、「嘉川地域交流センター」

の係りの方から「山陽道歩きですか?」と声が掛かりまして 事務所まで案内されて

地元PRのパンフレットを頂き、その後はいつもの、「何処から来られました?」「何処

まで歩きますか?」「お幾つですか?」どんどん質問をされます  街道歩きの途中

地元の方と知り合うとよくある出来事です・・・・・ 

山陽道1-5

今回の旅は、距離がかなりあるので、三泊四日の予定 JR山陽本線の「厚狭(あさ)

駅」近くのホテルに宿泊して、そこを中心に山口県の西部を歩きました

駅前に「厚狭の寝太郎」伝説の像が建っていました 「寝太郎」は寝ながら考えた知恵

で新しい「わらじ」を佐渡の金山に持って行き、古いわらじと交換して、古いわらじに

付いた「砂金」を持ち帰り、厚狭集落開拓の資金にしたと言われています
      
******二日目*********

山陽道2-1

二日目は、昨日の続きで「JR嘉川駅」から、スタートしました

山陽道2-2

嘉川中市から熊野神社を越え、立派な「常夜灯」が残されていて 旧街道らしいです

国道2号線は大型トラックの通行が大変多いです この国道を歩いている人はほとんど

いません。 幸いガードレールと歩道があるので良いですが、歩道のない所は歩行者

には本当に恐ろしい 国道です

山陽道2-3

峠の頂上に「おいはぎ峠」という面白い名前のレストランがありました

すぐ横に周防長門国境碑があります「東 周防国吉敷郡 西長門国厚狭郡」と記され

ていました

山陽道2-4

山中上市から山中中市に入って行きますが、この辺庚申碑をよくみかけます

山陽道2-5

造り酒蔵「男山」この辺では有名なお酒のようです

山陽道2-6

ここから大変な、山道に入りましたが、すぐ横に「イノシシ」捕獲用の仕掛けがしてありました

村社の所で通行危険の看板が立てかけてあります旧道から村道へ戻ります

山陽道2-7

・・・・・今日はここから列車で移動です

「厚東(ことう)駅」から列車で「小月(おづき)駅」に向かいます

今回の山陽街道歩きはの目的は、小月駅からバス移動で「高杉晋作の墓地(東行庵)」へ訪問

するのが、一番の目的で歩き旅に出てきました

2018年NHKの大河ドラマは「西郷(せご)どん」です

2018年が明治維新から150年にあたることから企画された ドラマですが、当然その動乱

の時代、長州藩のトップとして、騎兵隊を率いて僅か27歳で燃えつくした「高杉晋作」の

史跡を訪れたいとの思いです。

高杉晋作についてはこちら→高杉晋作

---つづく---
[ 2017/10/02 12:22 ] 山陽街道を歩く旅 | TB(0) | CM(0)

山陽街道を歩く ⑧の3


山陽街道を歩く 旅 三日目
今日が山陽街道歩き八回目の 最終日です
今日は新山口駅まで歩きます 距離は21キロ  昨日のゴール地点 防府駅まで行きます
少し早めに徳山のホテルを出ました 徳山駅から防府駅までJR山陽本線に乗車
日曜日という事もあり 下車した防府駅前も静かです 

山陽道25-1

防府は見どころが、沢山あります 最初に周防国衙跡(すおうこくがあと)に行ってみました

広大な敷地です  国衙跡についてはこちらをご覧ください←●

山陽道25-2
山陽道25-3

しばらく歩くと「多々良大仏堂」がある 阿弥陀如来像は高さ約5m 辻福寺の大仏であった

「毛利邸」から、ここに移築されたようです

山陽道25-4

毛利氏庭園にも行って見た・毛利博物館 美しい庭園と国宝などの文化財が保存されている

ようです 旧萩藩主毛利氏により、大正5年(1916)に建てられたもので、平成23年に国の重要

文化財に指定された 邸宅は壮大な建築・・・・庭園のあまりの大きさに外から眺めるだけにした

山陽道25-5
山陽道25-6

周防国総社の佐波神社 すぐそばに国衙北西端の案内がありましたが、国衙跡からこの

辺まですべてが、周防国衙の管轄地域と言う事になります

山陽道25-7

周防国分寺 
奈良時代 聖武天皇の頃建立された 国分寺についてはこちらをご覧ください←●

しばらく歩いて国分寺の先に防府天満宮がありました

太宰府天満宮、北野天満宮と併せて日本三天神といわれているが、当社が日本最初の

天満宮との事です


山陽道25-8

近くに懐かしい珍しい「映画館」が有りました・・裕次郎の「嵐を呼ぶ男」上映中!

今日は 日曜日 近くの神社の秋祭り・・・

山陽道25-9

「大道地区」に入りました江戸時代は「台道」と言われていたようです

国道2号線に大きな石灯籠が2基残されていました 移築されたのでしょう

山陽道25-10

「JU」のオークション場が国道沿いにありました 見落としそうになる旧街道はその向かい

の細い道を行きます

山陽道25-11

津山神社がありました・・この先の長沢池を築いたのが、小郡の代官「東条九郎右衛門」でその功績

で祀られたそうです

山陽道25-12

四辻駅 近くののどかな道、街道脇で農作業をしている同年代の男性に声を掛けました 「この

あたりは長ナスばかり目に付きますが、普通のナスは作らないのですか?」・・・

あちらも不思議そうに、こちらの格好を見て「あんた何処から歩いて来たねー?」 「金沢から

です」・・・・・「ここは山陽道でよくウォーキングの人が通る」「やっぱり歩くのは楽しいかねー?」

2人で、土手に腰をかけて、頂いたお菓子を食べながら30分程世間話・・・・この辺は「ナス

の辛子漬け」を良く作るそうで、それには長ナスが一番いいらしい・・地元なまりを交えなが

ら畑の話や ウォーキングの話など、地元の方の話を聞くことが出来た楽しい時間でした

山陽道25-13

「銭のふるさと 鋳銭司(すぜんじ)」と歩道橋に書いてありました すぐ横の植木屋さん

「和同植木造園」・近くには「鋳銭司小学校」???・・・調べてみたら 持統天皇の時代

(西暦800年頃)に 日本で初めて鋳銭司が置かれ貨幣鋳造が許された場所  「和同開珎」

などの貨幣もここで鋳造されていたとの話です 

山陽道25-14

「建石」と書いた 平らな石碑が立っていた 先にここを歩いた旅の先輩も HPに「良く解

らない?」と書いてありました   「爺」が眺めていたら、地元の人が寄って来て説明を

してくれましたが、結局 「建石」については良く解らなかった

山陽道25-15

「陶の市恵比寿」が有りましたが、ここは宿場ではないので 多分この集落で陶器の

商い市が開かれていたのではないでしょうか? 懐かしい木製のはしごに「半鐘」が有りました

山陽道25-16

この街道を歩いて初めて見つけた「一里塚」です「従安芸郡小瀬川二十二里従赤間関十四里」

と書いてある 安芸郡小瀬川は山口と広島の県境  赤間とは福岡県宗像市に赤間駅が有ります

歴史の要所で西郷隆盛や高杉晋作なども住んでいた所のようです

山陽道25-17

江戸時代に周防国と長門国を領国とした長州藩(長州閥を形成)・・・明治維新では長州藩

の中から多くの政治家を輩出し 日本の政治を支配した山口県・・・見所いっぱいで、「周防国」

は豊かな処だと感じる事が実感出来た歩き旅でした。

  山陽街道 小郡宿      「新山口駅」から新幹線で帰宅!

    あともう少しで山陽道のゴ~ル下関です 次回 山口県を訪れるのは、いつの日か分かり

    ませんが 次回を楽しみにしたいと思います -----つづく-----


[ 2016/10/05 20:00 ] 山陽街道を歩く旅 | TB(0) | CM(4)