富山県高岡ウォーキング協会第67例会に参加



    高岡ウォーキング協会第67例会「子撫川ダムと宮島峡をめぐる」イベントに参加

    して来ました

高岡W宮島峡

    まだ、時期が少し早く 「素晴らしい紅葉」とまではゆきません 
    
    でしたが 「中部東海自然歩道を歩く」素晴らしいウォーキングを楽しむ事が出来ました

    動画でアップしました

     





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[ 2017/10/16 15:40 ] ウォーキング | TB(0) | CM(0)

旧山陽街道・下関までのラストウォーク③~④


山陽道3-1

山陽道3-2

長府駅から 歩き出しました 昔からの城下町の風情を残す良い町です

周防の国の国府「防府」に対し長門の国「長府」と名付けられた

山陽道3-6

山陽道3-7

忌宮神社(いみのみやじんじゃ)長府の市街地に位置する大きな神社です

14代仲哀天皇・神宮皇后が九州の豪族熊襲を鎮圧し西国平定の折り、ここに仮皇居と

して豊浦宮を建て西暦200年までの7年間滞在したと言われています。

山陽道3-12>
山陽道3-13

幕末の騒乱期の重要な拠点となった長府町には「維新発祥の地」と刻まれた

石碑をあちらこちらに見受けられます

長府ではやはりここです・・・1864年高杉晋作は挙兵しました。かつて馬関と呼ばれた

下関市長府にある功山寺  この寺から幕末動乱の幕は開かれます

寺に潜居していた三条実美ら五卿に「これより長州男児の肝っ玉をご覧に入れ申す」と

決起表明し、馬上の高杉晋作は雪中を駈け抜けました

高杉晋作をトップに正義派の長州藩諸隊が、「功山寺」で起こしたクーデター、回天義挙

とこれに端を発する長州藩内の一連の紛争もこの場所です

藩隊が集結した曹洞宗の寺長府毛利家の菩提寺「功山寺」は現在「国宝」

「国登録有形文化財」に指定されています


いよいよ、下関です



山陽道4-1-

門司港までは、船で渡りました

門司港駅から一駅「小森江駅」まで電車で移動 そこから小倉を目指します

山陽道4-3

しばらく旧「門司往還」を歩くと、目に飛び込んできたのが「北九州無法松ツーデー

マーチ」ののぼり旗 「矢張り」もあちらこちらに貼ってあります・・ここははツーデー

ウォークのコースだ!「爺」の歩き友も参加しているのでは?

山陽道4-5

結局、ウォーカーには会わず「小倉駅」までに何人かのスタッフの方に会った

だけでした

「門司往還」の「常盤橋」までで最終ゴールを致しました

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5年10ヶ月山陽街道を歩きましたが、本当に色々な出来事がありました

街道歩き旅は何と言っても「未知への旅」先々で、思いも寄らぬことが起きる

歩いて見て、初めて見る物や、初めて知る事、その「ハラハラ感」がたまらないです・・・・

  しばらく、旧街道歩き旅は、お休みをしようと思います

最後になりますが、この歩き旅には、旧街道歩き旅の大先輩「アンドーさん」の

webサイトを参考にさせて頂きました

     有難う御座いました お礼申し上げます

           ・・・・・完・・・・・・

[ 2017/10/08 20:13 ] 山陽街道を歩く旅 | TB(0) | CM(0)

旧山陽街道・下関までのラストウォーク②

山陽街道ラストウォーク①からの続きです

厚東(ことう)駅から、小月(おづき)駅までは、電車で移動

山陽道11

駅前で写真を撮って 「東行庵」まで行くバス停を探していましたら、地元の年配の方

から声を掛けられました「どちらまで行かれますか?」「東行庵に行きたいのですが」

その方もバスを待って居るらしく、しばらく話をしていましたら毎日「ウォーキング」を

楽しんでいるそうで、「先日、下関まで30キロ程歩いて来ました」との事でした。

知らない所で親切にされると 嬉しくなります

山陽道12

バスは「東行庵行」直行は無く「秋芳洞行]きに乗り途中下車して、しばらく歩いて

行くしかないようで、下車して、1キロ程歩きだしました 途中は旧街道らしい光景・・・

山陽街道で一里塚跡に出会うのは珍しい「吉田の一里塚跡」のすぐ横を通過して

高杉晋作の墓「東行庵」まで歩きます 「東行」は晋作の号です 晋作が亡くなった後

菩提を弔う為、晋作の側室「おうの」に与えて住まわせたのが始まりだそうです

山陽道13

すぐ近くに「晋作の湯」という日帰りの湯がありました

「東行庵」は、動画で撮ってみました



「東行記念館」でも、「爺」が遠方から来たからとことで、館内を詳しく説明をして頂き 

良くして頂きました

「東行庵」から、小月駅までの帰り道は約5キロですが、バスで来た旧街道を歩いて

戻る事にしました

小月神社


小月の町中の「小月神社」に立ち寄りました 街中は旧街道の面影はなく

宿場の面影もありません  

余談ですが、山陽新幹線は「厚狭駅」からJR山陽線からかなり離れて山間部を

大廻して「新下関駅」までのルートになっています 不思議ですが、 「長州の景観」

を守る為、ぐる~と西へ大廻して下関に向かったのではないか、との話を聞きま

したが、どうかな??


山陽道18

小月駅近くに道標がありました「右 かみがた、左とよたへ」と刻まれています

「見回り通り」と呼ばれて宿場町の歓楽街だったようです

ここで 東京から山陽街道を歩き旅している 「爺」と同年代の旅人とお会いし

ました、しばらく歩き旅の話をしながら、同行しましたが、聞きますと会社を定年後

 旧東海道 旧中山道 甲州街道 熊野古道 四国八十八箇所等を歩き旅を完歩

して 今から旧山陽道から 九州の門司方面に行く途中だとの事でした・・・・・

  小月駅で別れましたが世の中には、凄い方がおられるもんです。

      今日は、感激する事の多い一日になりました

-----つづく-----
[ 2017/10/03 21:29 ] 山陽街道を歩く旅 | TB(0) | CM(1)